1-9《建築に宿る生》と「磯崎新:群島としての建築」

書籍『建築を学ぶためのパターン・ランゲージ』に収録されているパターン1-9《建築に宿る生(Life of Buildings)》には、2022年末に逝去された建築家・磯崎新の次の文章が引用されています。

私は歩き疲れ、聖堂の暗がりに身をゆだねていた。高窓から一筋の光が差し込んだ。すすけた壁をわずかに照らし出す。その時、深い闇がその場にたちこめているのを感じ、全身がその中に溶け出すような恍惚(こうこつ)を味わった。建築が内部に抱え込む「空間」を初めて体感したのである。外側の輪郭や構成など問題ではない、と思った。それ以降、私は形がみえない「空間」や「場」というものを考えはじめるようになる。
[磯崎新「私の履歴書 建築家磯崎新(14)渡欧――聖堂の闇に「空間」体感」『日本経済新聞 朝刊』2009年5月15日]

この文章は、建築を「形」や「構成」ではなく、身体が没入する〈場〉として捉え直す磯崎の建築観を、きわめて端的に表しています。
先日、私はこの磯崎新が設計した水戸芸術館を会場とする、没後初の大規模回顧展「磯崎新:群島としての建築」(2025年11月1日〜2026年1月25日)を訪れました。
展覧会は、「都市」「建築」「建築物」「フラックス・ストラクチャー」「テンタティブ・フォーム」「建築外(美術)」といったキーワードを軸に、建築模型、図面、スケッチ、インスタレーション、映像、版画、水彩画など多様なメディアを通して、磯崎の活動を“群島”のように配置し、俯瞰的に提示する構成となっていました。建築の枠を超えて展開されたその活動の広がりが、空間全体として体感できる展示でした。
展覧会の内容については、Casa BRUTUSのWebサイトに掲載された「磯崎新の没後初となる大規模な回顧展を、宮沢洋さんと一緒に読み解きました。」(https://casabrutus.com/categories/architecture/473849)という記事で詳しく紹介されています。
その中で、元『日経アーキテクチュア』編集長であり画文家でもある宮沢洋さん(BUNGA NET)は、本展のおすすめの見方として、展示作品を「天性」と「戦略」に分けて眺める方法を提案しています。たとえば、幾何学への強いこだわりや明確な軸線は「天性」、一方で『孵化過程(1962)』や『海市(1997)』といった作品群は「戦略」といった具合です。
ここでは、それに加えて、私なりのもう一つの見方を提示したいと思います。それは、磯崎の仕事を「還元」「拡張」「逸脱」という三つの動きで読み分けることです。
磯崎は次のように書いています。

一八世紀の中期に、それまで連続的に展開していた古典主義的建築言語に亀裂がはいり始めた。近代がその出発の地点であらゆる「知」を構成する言語にたいして突きつけた一般的課題とも連動しているが、それは、危機に陥っている建築的言語にたいして、プロブレマティックを提示することによって、事態を再編しながら先送りを続けることであった。(中略)なかでも、ロージェ神父の原始状態への「還元」、エドマンド・バークの崇高なるものへの「拡張」は、多大な影響を与えている。(中略)時代が幾何学的量塊性と形式的整合性を優先させる純正な新古典主義へと移行し、それが、あらたに国家意識と結びつく記念碑的な作品を要請しはじめたのをジョン・ソーンは知悉していたであろうが、彼は敢えて、この第三世代の新古典主義の示す特性からの「逸脱」をはかった。
[磯崎新「建築と逸脱――サー・ジョン・ソーン美術館『人体の影—アントロポモルフィスム』鹿島出版会、2000年]

磯崎はここで、建築史を単なる様式の変遷としてではなく、「還元」「拡張」「逸脱」という思考と実践の運動として捉えています。そして重要なのは、磯崎自身がこの三つをひとりで引き受け続けた建築家であったという点です。
実践(創造)と批評(思想)を真に両立させながら、二十世紀近代という連続体に生じた亀裂に向き合い、危機に陥った建築的言語にプロブレマティックを投げかけ続ける。その過程で、磯崎は「還元」し、「拡張」し、そして「逸脱」したのです。
水戸芸術館で体験した展示空間は、まさにその軌跡を、群島のように渡り歩く体験でもありました。
「還元」「拡張」「逸脱」という見方は、『建築を学ぶためのパターン・ランゲージ』の考え方とも、ささやかに重なっています。パターン・ランゲージは、建築を一つの答えにまとめるためのものではなく、学ぶ過程で出会うさまざまな気づきを、いくつもの視点として手渡すための言語です。
パターン1-9《建築に宿る生(Life of Buildings)》で引用した磯崎新の文章は、建築を「形」ではなく、身体が入り込む〈場〉として捉え直す瞬間を語っています。その体験は、建築をいったん立ち止まって見直し(還元)、そこから考えを広げ(拡張)、時に既存の枠組みを離れてみる(逸脱)ことの大切さを、静かに示しているように思えるのです。
水戸芸術館で「群島としての建築」を歩きながら、磯崎新の建築と思考そのものが、学びのための多くの入口をもった島として、今も開かれていることをあらためて感じました。

(やま)

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