1-5《シェルターとモニュメント》と首里城復元工事

先日、沖縄県那覇市を訪れ、首里城の復元工事の様子を見てきました。
首里城は、2019年(令和元年)10月31日未明、正殿から出火し、正殿・南殿など主要建築7棟、約4,800㎡が焼失しました。多くの貴重な文化財も失われ、そのニュースは沖縄のみならず、日本全国に大きな衝撃を与えました。
首里城は、琉球王国の王宮であり、同時に政治・儀礼の中心でもあった場所です。15〜16世紀にかけて整備され、第二尚氏王朝(1469–1879年)の時代に最大規模へと発展しました。歴史の中で幾度も火災に見舞われてきましたが、今回の焼失は5度目にあたります。私は、この出来事を、パターン1-5《シェルターとモニュメント》の視点から捉え直してみました。


モニュメントとしての首里城

《シェルターとモニュメント》において、シェルターは人を守る空間、モニュメントは共同体の記憶や象徴を体現する存在です。
首里城は、単なる居住施設(シェルター)ではありません。それは琉球・沖縄の歴史と精神を象徴するモニュメントです。鮮やかな朱色の正殿は、王権の威厳を示す建築であると同時に、人々のアイデンティティを支える象徴でもありました。そのモニュメントが炎に包まれたとき、失われたのは建築物だけではなく、共同体の記憶の一部でした。しかし、モニュメントは物質そのものではなく、「再び立ち上がろうとする意志」そのものに宿るのかもしれません。
現在、正殿は2026年秋の完成・公開を目指して復元工事が進められています。復元は、2019年火災前の姿を基本としながら、18世紀初頭(1712年再建時)の資料も参照し、防火性能を高めた木造3階建てとして再建される予定です。
復元とは、単なる「再現」ではなく、歴史を継承しながら未来へ接続する行為です。
首里城の工事現場に立つと、モニュメントとは何か、そしてそれを再建するとはどういうことかを、改めて考えさせられました。2026年秋の完成が、今から楽しみです。


玉陵 ― 静かなモニュメント

首里城を訪れたなら、ぜひ足を延ばしてほしい場所があります。それが、首里城からほど近い 玉陵 (たまうどぅん)です。
玉陵は1501年、尚真王が父・尚円王の遺骨を改葬するために築いた陵墓で、その後、第二尚氏王統の王族墓として用いられました。歴史書『琉球国由来記』には、同年に「玉陵碑」が建立されたことが記されています。
自然の岩盤を掘削し、その前面に基壇を設けて石積みとし、黒色の平瓦を段葺とする構成です。墓室前には、かつての首里城正殿前の石欄を想起させる、鳥獣花文様を彫刻した石欄が据えられています。墓域全体は石垣で囲われ、外庭と内庭に分かれ、庭には浄化の意味を持つ珊瑚砂が敷かれています。
沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1970年代に復元修理が行われ、国指定史跡となりました。首里城が「王権のモニュメント」だとすれば、玉陵は「記憶のモニュメント」と言えるでしょう。


シェルターとモニュメントのあいだで

玉陵は居住空間ではなく、死者を祀る場としてのモニュメントです。建築は、ときに人を守る器となり、ときに記憶を刻む碑となります。
《シェルターとモニュメント》というパターンは、その両義性を理解するための視座を与えてくれます。
炎に焼かれ、そして再び立ち上がる首里城の姿は、モニュメントが単なる物質ではなく、「人々の願い」によって支えられていることを、静かに示しているように思えました。

(やま)

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